知的財産権といわれる権利の代表として特許権があります。特許権の対象となる「発明」とは「自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のもの(特許法2条)」と定義されており,一般的な要件として,産業上の利用可能性,新規性,進歩性が必要とされています。身近な工業製品の中にも特許技術が利用されているものが多々あり,例えばトヨタのプリウスなどは特許の塊だと思われます。
ところで,私事ですが,私には2歳と0歳の子供がおり,当然どちらもまだオムツを履いています。最初の子供が生まれる前にベビー用品を沢山買い込んだのですが,その中で今でも重宝しているアイテムに「おむつ用ごみ貯蔵カセット」があります。これは使用済みのオムツ(当然,子供のおしっこやウンチで汚れており,臭いです。)をこのカセット(丸形)の中に入れた上で蓋をして蓋に付いている回転部分を回すと,オムツの周りのフィルムが捻られて,丁度ウインナーソーセージのように下の箱の中に使用済みのオムツが樹脂フィルムに包まれて溜まっていくのです。実はこのカセットについては,あるイギリスの会社(X社)が特許権を取得しており,X社がイギリスで生産している商品を,同社と販売店契約を締結している日本の会社(A社)が輸入して日本国内で販売しているものです。
ところが,日本の会社(Y社)が同製品の特許権を侵害する製品を販売していたため(但し,原審判決を読むと,Y社の前身である会社は従前X社と販売代理店契約を締結していましたが,Y社に変わってから代理店契約が終了していたようです。ですので,元々X社の製品の日本における市場開拓はY社の前身が行ったものといえます。),X社がY社に対して特許権侵害差止及び損害賠償請求訴訟を提起しました。原審(東京地裁民事第29部)は,Y社による侵害を認めた上で,約2113万円の損害賠償請求を認容しました。
しかし,X社は原審判決の認容額では不服であったらしく,知財高裁(東京高等裁判所内にあり,特許権侵害訴訟の控訴審は全てここで審理されます。)に控訴しました。争点は,「損害の額の推定」について定める特許法102条第1項から第3項の適用要件です。
特許権の侵害による損害賠償請求は交通事故による身体・財産の侵害の場合と同じく不法行為(民法709条)に基づく損害賠償請求であり,損害賠償を請求する被侵害者側が訴訟の中で特許権侵害による損害の発生・損害額を主張・立証しなければなりませんが,特許法102条第1項から第3項には損害額の推定規定が置かれており,損害額の立証責任が軽減されています。
本件の原審判決は,侵害者が侵害行為により得た利益の額を損害額と推定する特許法102条第2項の適用を認めず,同条第3項を適用して最も安い特許権の実施料(ライセンス料)相当額の賠償のみを認めました。その理由として原審判決は,「102条2項が適用されるためには,特許権者が我が国において当該特許発明を実施していることを要する」という解釈を示し,X社が日本国内で当該特許発明を実施していないことを挙げたのです。このように特許権者の実施を要件とする説は,これまで判例(下級審裁判例)・通説だったようです。
ところが,控訴審である知財高裁大合議部判決は,一転し,「特許法102条2項には,特許権者が当該特許発明の実施をしていることを要する旨の文言は存在しないこと,(中略),同項は,損害額の立証の困難性を軽減する趣旨で設けられたものであり,また,推定規定であることに照らすならば,同項を適用するに当たって,殊更厳格な要件を課すことは妥当を欠くというべきであることなどを総合すれば,特許権者が当該特許発明を実施していることは,同項を適用するための要件とはいえない。(中略),特許権者に,侵害者による特許権侵害行為がなかったならば利益が得られたであろうという事情が存在する場合には,特許法102条2項の適用が認められると解すべきである。」として特許権者による「実施」を不要とし,他方で,「特許権者に,侵害者による特許権侵害行為がなかったならば利益が得られたであろうという事情」を新たな要件として挙げ,本件においてそのような事情の存在を認め,102条2項の適用を肯定しました。その結果,控訴審で認容された損害賠償の額は,何と約1億4800万円に跳ね上がりました。
この事案では,イギリスのX社は日本のA社を通じて特許製品を日本で販売していたのですから,X社が特許法上の「実施」をしていないとはいっても,Y社による侵害品の販売がなければ利益を得られたであろうという事情は十分肯定でき,妥当な判決だと思います。
私と家族が毎日便利に使っている工業製品の特許権侵害訴訟の判決に接して,改めて知的財産権保護の重要性を認識した次第です。